後輩に彼女を○取られた!! - 大学サークルでのNTR

 大学のボランティアサークル加入経緯は↓↓に綴っています。
ボランティア活動スタートのきっかけ

  

登場人物

・ヨルゲンセン … 私。サークルのリーダー。 
・WC … ヨルゲンセンのサード・ガールフレンド。女子学生。
・Ado … WCと同期メンバーでヨルゲンセンの後輩。女子学生。
・Dick … ヨルゲンセンの後輩で、AdoとWCにとっては先輩。男子学生。

  

サード・ガールフレンド

 大学に入った年度の末頃に、不意に誘われて入ったボランティアサークル。翌年の秋口には同期で最も遅い加入の私がトップの座に就いた。元々サークル内でも稼働率の高かった私は、グループの代表となって以降、更に活動に注力し、サークルの運営に熱心に取り組んでいた。

 私が代表を引き継いで以降、サークルはどんどん拡大していった。活動範囲が広がるのに加え、人員も増加。特に春は新入生が入ってくる。活気がある所に人は集まるモノで、勢いがある時は鼠算式に増えていく。春の加入ラッシュ時期を過ぎても、噂を聞いた人が訪ねて来るコトもあったし、サークルメンバーが友人を連れてくるコトもあった。特に私が代表になって以降は中途加入が多かったように思う。

 増えていくサークルメンバーの中に、自分の人生で3人目の彼女となる人がいた。名前はW.C(トイレではない)。出会った時は「可愛い人だ」という印象こそ持ったものの、特に何をどうするでもない。とにかく『ボランティア活動を充実させるコト』『ボランティアに限らないサークルの楽しみを増やすコト』『メンバーに価値を提供するコト』に躍起だった私は、特定の人とだけ交流を深めるコトはしなかった。自分はそこに注力すべき立場の人間だと思っていたし、そうしているコトが好きだった。とはいえ、ボランティアなどのサークル活動への参加・稼働率が高い人とは必然的に仲が良くなる。関係が構築される時は早いモノで、夏が来る前には、私とWCの関係は男女交際に発展していた。

 2人で特に何をしたでもない。時間はあるケドお金は無い学生同士だ。時間はあるとて、その時間はサークルの活動やバイトなどに費やされるコトが多い。ただ、サークルが同じなので、2人っきりではないにせよ一緒に活動を共にするコトはできた。図書館で一緒に勉強するコトもあった。WC(water closet ではない)は大学の近くで独り暮らしをしていたので、そこで一緒に過ごすコトもできた。特別なコトがあるワケではない日常だったが、2人の間に特に問題は無く、関係は良好。ただ、1つだけ難点があった。

不穏な空気

 WC(彼女)はあまり私との関係を周りに言いたがらなかった。私も、自分からそういった話を周囲にするタイプでは無い。今でもそうだ。当時はサークルの代表者だったので特に、我々の関係が周囲に漏れ聞こえるのは憚られる気がしていた。本来ならば気にする必要など無かっただろうに。そういった状態だったから、私達の関係を知っている人は殆どいなかった。WCは、自身が話したいと思う相手には伝えていたので、我々の関係を知るのはWCが話した数人のみ。この環境が、後々に災いを生むコトになる。

 WCは、恐らくルックスが良い方であった。つまり『カワイイ女子大生』である。となれば、周りが黙っていない。街を歩いていたら色んな人から声を掛けられる、というようなコトはさすがに無かったろうが、身近にすり寄ってくる男の1人や2人はいただろう。そんな男の1人がDickであった。Dickは私の後輩であり、WCからすると先輩。丁度、2人の間の学年である。Dickは非常に陽気でアクティヴ。サークルにも積極的に参加するタイプで、むしろ活動に傾倒し過ぎて学生ボランティアの領域を超える負担を背負ってしまうのではないかと心配してしまう程だった。

 当時、大学が終わった後や、サークルの会議・活動などが全て終わった後、WCの家に行くコトが多かった。私の荷物もいくつか置いてあったし、大学に近い立地なので当然泊まるコトもあった。しかしいつからか、そこに時折Dickが出没するようになった。交際している男女が過ごす家にズケズケと上がり込んで来る男とは何ぞや。そう言いたいところだが、ココで1つの前提が大きな意味を成してくる。『我々の交際を誰も知らない』である。Dickは知っていたかも知れない。知らなかったとしても、察していた可能性は高かったか。あるいは、私もDickのように、WCを狙う男の一人と思われていたかも知れない。とにかく、Dickは我々の関係を知らない。もしくは、知っているが、知らない『テイ』になっている。コレが非常に厄介だった。

    

『鋼鉄の処女』

 WC(彼女)の家に居た私は、ベッドでゴロゴロしていたコトもあったろう。座り込んで話をしていた時もあっただろうか。音楽を聴いていた日があったかも知れない。そこにいきなりDickが現れるのだ。彼はどう感じただろうか。何を思っただろうか。そんな考えを彼女の方も巡らせていたかは分からないが、WCは毎回Dickを客人としてもてなした。いつも楽しそうに話したり、一緒に遊んだりしていた。その状態になると私はいつも蚊帳の外。が、それ自体は一向に構わなかった。彼が居る間は彼の相手をしてやれば良いと常に思っていたし、そうするのが当然とさえ思っていた。そもそも、彼女が第三者と何時ドコで何をするか、誰と何を話すかなんて、私の知ったコトではない。それは「そんなコトには興味がない」という意味ではなく、「そんなコトを云々する権利は私にはない」という意味だ。だから一切文句は無かった。彼が帰った後で彼女に不平を言ったコトすら、ただの一度も無かった。

 しかし、長居されると…コレはチョット微妙である。自分の彼女であるWCと、言うなれば間男のようなDickが、楽しそうに話したりじゃれているのを見るのが嫌とか、そういうコトではない。気まずいというか、彼が私のコトをどう思うかが気になって仕方ないのだ。彼が我々についてドコまで知っているか分からない以上、私が何もせずにずっと家にいるコトを彼が不信がっている可能性はある。私が帰るまでは自分も帰らないと思っているかも知れない。私に対して「早く帰れ」と思っている可能性もある。DickがWCの家に来た時は、私が外に出るというのが日課になった。この、自ら課した理不尽なルーティンは、しばらく続いた。

 2人は私をどう思ったろうか。私の行動をどのように見ただろうか。拗ねて外へ飛び出したのだと判断したかも知れない。Dickからすれば、いなくなってラッキーといったところだったろう。あるいは、私の行動など一切気にも留めなかったか。とにかく私は毎度毎度夜道を走った。自転車で走って最寄りの駅まで行った。そこでいつも Iron Maiden の 14th album である “A Matter of Life and Death” を聞いた。なんでそのチョイスなのか。理由は単純、TSUTAYA で視聴して気に入ったからだ。気に入ったので、手に入れた。その時の気持ちに合っていたとか、そういうコトじゃない。ただ単に、その頃自分の中で一番ホットだった作品だったから、とにかくこのアルバムばかり聞いていた。

 アルバムが1周、時に2周してからWCの家に帰った。1周全曲聞き終わるのにおよそ70分。自転車移動も考えれば、いつも家を出てから1時間半~3時間経った後に戻っていたコトになる。自転車をこぎ出した時点で既に夜であり、それだけ外にいたワケだから、戻った時にDickがまだ居るというコトは一度も無かった。当然だ。私がいない間に彼が帰るように、計画的に時間を空けたのだ。戻っても彼がいるようだったら、恐らく家には入らず、外にいてDKが帰るのを待っただろう。このルーティンが日々続いたのだ。

 初めWCは、私の行動を不思議に思っていたようだった。最初に私が家を出た時は、何があったか気にしただろう。心配したかも知れない。初めの頃はドコに行ったのかを問うメールが来ていたような気もする。しかし、しばらくするとそれは無くなった。彼女が起きて私の帰りを待っていた時期もあったが、しばらくすると帰宅時には電気が消えてベッドに入っているというのが定番になった。

 今思えば、私は絶好のお膳立てをしていたのだ。私がいない間に彼らが何を話し、何をしていたのかは知らない。知ろうとも思わない。だから家から離れた。だが、その間に関係を深めていたコトだけは確かだろう。WCの僕に対する日常の態度も変わっていった。Dickが来る回数が増えるにつれて、2人が私を気にする様子はどんどん薄れていった。そんな日々が続き、大学は夏休みに入った。

イギリスのメタルバンド Iron Maiden の 14th アルバム『A Matter of Life and Death』。 このアルバムの収録曲を聴くと、今でも鮮明に昔の記憶が蘇る。当時のルーティンのお陰で、我が半生で最も聞いた Iron Maiden のアルバムというコトになった。常に悲しい記憶と共にあるが作品自体は最高。

※画像はアルバムのジャケット。Amazon アソシエイトリンクを使用しています。

  

ぼくのなつやすみ

 夏休みにもサークル活動はある。ボランティアなので、サービスを提供する側も受ける側も時間に余裕が生まれやすい夏季休暇期間は、色々なイベントを組むのに絶好だ。しかし、運動部ではないので、毎日活動があってそのためにキャンパスに来るといったコトはさすがに無い。人によればサークル活動を全くしない場合も当然ある。普段からアクティヴで、尚且つ家がさほど遠くないメンバーは、稼働率が高かった。要するに、普段も長期休暇中も、結局は同じである。やる奴はやるし、やらない奴はやらない。普段アクティヴでも、遠方の実家を出て独り暮らしをしているような人は、夏季休暇を使って実家に帰るというパターンも当然あった。

 私個人はというと、忙しかった、気がする。当時の資料は残っているので、調べれば実際のところは分かるだろうが、あまり細かいコトを覚えてはいない。サークルの代表として気合が入っていたので、活動には積極的に参加していた。私自身が動かないと、周りが動くハズもないからだ。誰も行かない場所には、文字通り誰も行かない。だから私が行く。私が行けば、誰かが付いてくるかもしれない。誰かが付いてくれば、他の誰かも参加する可能性が出てくる。そうなれば行きやすい場所としてサークル内で定着する。そうやって活動の幅を広げていった。

 私がやるべきコト・やりたいコトはサークル活動だけではない。バンド活動もあった。高校時代からのバンド仲間と音楽をやるコトもあったし、一緒に遊ぶコトも多々あった。まだある。剣道だ。高校卒業以降、毎年、高校剣道部の夏季合同合宿に外部指導員として参加していた。コレは今でも続いている慣習である。この年も、例年通り合宿があったので、例に漏れず参加していた。ただ、この合宿というのが並ではなく、とにかくハード。例年、帰って来た時には左手足の皮がズル剥け。更には全身が極度の筋肉痛で、全く身動きが取れない状態になる。その上、喉が潰れて声も出ない。当時もこの満身創痍状態で、WC(彼女)の家に帰った。

NTR (Nobody Treats them Roughly)

 その後も特に変わらない日常が続いた。合宿の後は本当の満身創痍でボロボロだったが、まだ若いので問題はない。いや、たとえ若くなかったにしても、放っておけばいずれ回復する症状だ。WC(彼女)の様子は、やや変化したと上に書いたが、何か2人の関係を悪化させるような決定的な事象が起こってはいない。違和感を感じないでもなかったが、Dickが頻繁に現れるようになってからのWCの態度は、小さな変化を見せていただけで劇的に何かが変わったワケではなかった。

 WCの住んでいた家は大学の近くだったと冒頭に書いた。学校近辺で学生が独り暮らしするような場所だから、当然近くにも同じ大学の学生が住んでいたりする。WCの家の隣には、当時Ado(歌手ではない)という女子学生が住んでいた。彼女もウチのサークルのメンバーで、WCの友人、同期だった。つまり私からすれば後輩。Dickから見ても後輩にあたる。Adoもアクティヴメンバーだったので、ボランティアでもそれ以外の活動でもよく会い、頻繁に話す機会があった。

 夏休みに入ってからのある日、AdoがWCの家を訪ねた。昼のコトだった。もう日も高いがWCはパジャマ姿で玄関を開けた。大学生の独り暮らしの部屋である。定番はワンルームだろう。ユニットバスに狭いキッチンスペース。WCの住む家もご多分に漏れず、そういった簡素な造りだった。つまり、玄関を開けたら、外から部屋の奥まで見通すコトができる。Adoはパジャマ姿で玄関を開けたWCの奥に、ベッドを見とめた。そこには人が寝ていた。ベッドなので人が寝ていて当然…とはならない。独り暮らしの家の家主であるWCは目の前、玄関先にいる。コレは…

 Adoは、私とWCの関係を知っている数少ない人物の一人だった。なので、ベッドに私が寝ていても全く違和感は感じなかっただろう。だがこの日、私は他府県にいた。前述の剣道の合宿である。Adoは恐らくその事情を知らなかったが、知らずともベッドに寝ているのが私でないコトはスグに分かったらしかった。Adoは、奥で寝ている人物が誰なのかハッキリと目途をつけたようだったが、それには触れるコトなく、自室へ帰った。

 この件は、間もなく私の耳に入った。その時の自分の心情をよくは覚えていない。悲しみ、怒り、何かしらの強い感情を持ったのではないかと推察されるが、それも定かではない。そんな具合だから、この件でWCや他の誰かを問い詰めたコトは無かった。ずっと自分の中に秘めていた。ただ、しばらく経ってWCと少し話はした。夜だった。WCは既に寝入っていたと思う。しかしその時は、私が感情を抑えきれず、結果相手を起こすコトになってしまった。

 細かい話の内容は覚えていない。だが、先に述べた通り、何かを問い詰めたりはしなかった。私は「僕のコトはもう好きではないのか」というような趣旨のコトを相手に尋ねたと思う。明確な返事が得られた記憶はない。恐らく、実際この時点では明言はされなかったのだろう。なんせ問われた内容が図星であったとしても、ハッキリは答えにくい質問だ。鮮明に覚えているのは、自分がひたすら「ごめん」と謝っていたコトと、自分が泣いていたコトだけである。何を謝るコトがあるのか。そう思うなかれ。こうなった顛末を思い返して、自分の至らなさ、不甲斐なさを悔いたのだ。後悔がたくさんあったのだろう。自分の不徳がこの結果を招いた。誰も恨むまい。そう思っていた。2人は、後日、別れた。

A Matter of Life and Death

 悲しみは深かった。それは想像に難くないと思う。やりきれない思いがたくさんあったが、私はWC(元彼女)の家に置いていた荷物を少しずつ取り払っていった。そうして、私の痕跡は殆ど無くなった。WCは心なしかスッキリした様子に見えた。

 しばらく後に、WCとDickの交際が始まった。…何も不思議は無い。容易に想像できる展開である。しかし、当時の私の心情を察するのは決して容易ではなかろう。私の与り知らぬ所でWCが誰かと付き合うならばまだしも、彼女はすこぶる近しいところにいる。その相手もだ。こんな状況を経験したコトがある人は果たして何人いるだろうか。ちなみに私はこの時点で生涯2度目である。

 彼らの交際は、スグにサークル内に広まった。みんなは彼らを祝福した。まさに公認のカップルである。コレは当時、本当にこたえた。彼が公認であるならば、私は言わば非公認である。私とWCが付き合っていたコトは誰も知らない(実際にはごく少数の人が知っていたが)。しかし、DickがWCと付き合っているコトは、サークル内のメンバーほぼ全員が知っている。私と付き合っているコトをあまり話したがらなかったのは一体何だったのか。。そんなコトを思ったりもしたが、考えたとて意味はない。この複雑な思いを、打ち明ける相手もいない。喚いたとて、格好悪いだけである。なんせ私は戦いに敗れた者。ただのフラれた男だ。

 このチープなストーリーをお読みの皆さんは、この苦しい状況がいつまで続いたと思われるだろうか。当時の私は3回生の夏を過ぎたところ。というコトは、長くとも1年半でこの環境からは脱せられるハズである。…否。私はワケあってこの後1年休学する。休学中もサークル活動は続けており、その後、復学して卒業するまでサークル活動を辞めるコトはなかった。Dickも同じであり、尚且つ彼らは卒業まで破局していない。つまり、Dickと私が卒業する2年半後まで、この状況は継続したのである。本当に地獄だった。どうやって生きるモチベーションを保てばよいのか分からない。まさに “A Matter of Life and Death” (死活問題)と言えた。

道(タオ)

 繰り返すが、本当に苦しかった。それは想像に難くないだろう。だがこの2年半、私が一番気にしていたのは、2人の様子ではない。自分自身の言動である。仮にも私は組織のトップだ。たかが大学のサークルと思うなかれ、企業の社長と変わりない。そして問題の2人は共に所属メンバーである。彼らが交際を始めて以降、私が常に気にかけていたのは自分の言動。つまり、私の発する言葉、一挙手一投足が、公私混同になっていないかどうか。この2人へ掛ける言葉や態度が、恨みや妬みなどの私情を挟んだモノになっていないか。コレを日々あらゆる瞬間に自問し続けた。ココだけは、何が何でも失してはいけないポイントだと思っていたので、とにかく無用な私情を挟まないよう苦心した。私情を挟まないだけではない。私情を挟んでいると『思われない』ようにも細心の注意を払った。

 万全だったとは思われない。自分の対応が完璧だったと言うつもりもない。ただ、公私混同は一切しなかったという絶対的な自信はある。とにかく全身全霊をそこに傾けていたからだ。しかし「公私混同しない」と「公私混同していると思われない」は違う。要するに、自分がいくら完璧に私情を排除していたとしても、私情を挟んでいると思われない保証はドコにもないのだ。私情を挟む・挟まないは、全て私個人に委ねられているが、私情を挟んでいると思う・思われないは、全て第3者の受け取り方次第。非常に難しかった。恐らく公私混同していると思われた瞬間は度々あったであろう。それもまた苦しかった。自身は私情を徹底的に排除するよう努めていたからこそ余計に、だ。

 私とDickとの関係は悪くなかった。元々そうだったし、いわゆるNTR案件が発生した後も同じだ。無論、彼としては気まずい思いもあっただろう。しかし表向きの関係は全く悪くなかった。ただ、意見が衝突するコトは多々あった。彼は前述の通りアクティヴなメンバーで、稼働率が高いだけでなく、志も高い男だった。それ故、活動に対する一定の主義や主張を持っている。しかし、彼が「こうあるべき」と考えるコトは、私の立場でサークル全体の利益を考えて出す結論とは相反するコトが比較的多かったのだ。コレが本当に難しかった。

 私は、相手の意見を聞いてその主張に十分納得した上で、サークル全体の利益・メンバーの利益を考えたら出来ないと、その都度否定せざるを得ない。なぜなら、そういう立場の人間だからだ。だが、この否定という行為は、相手側やそのやり取りを見る側からしたらどうであろう。私がいくら私情を排していても、公私混同だと思われないだろうか。私から言わせてみれば、それを恐れて相手の意見を無理に受け入れる方が、逆に公私混同である。しかし、それは周囲には伝わらない。私とWC(元彼女)が交際していたという過去を多くのメンバーが認知していないという事実が逆に幸いしたかも知れない。何も知らない人からすれば、私とDickのやり取りは通常の意見交換にしか映らないからだ。

 一度、Dickから謝罪されたコトがあった。いつ頃だったかは覚えていない。何のコトを謝っているか曖昧な様子だったが、もちろん察しはつく。私は突っ撥ねた。ネガティヴな意味ではない。貴方が謝るコトではないというように伝えたのだ。こういった出来事はよくあるコト。男女交際とはそういうモノである。別にDickが悪いワケではないし、WCが悪いワケでもない。そうなるべくしてなったのだ。道教思想に傾倒している私は、無為自然の精神でそう答えた。

Dickとは連絡はとっていないが、別に関係が悪いワケではない。特別仲が良いワケでもないが、人間関係とはそういうモノであろう。頻繁に連絡を取り合う対象はごく一部である。一方のWC(元彼女)は恐らく私のコトを酷く嫌っていると思う。少なくとも大学時代はそうであった。原因は、上で語った『公私混同』を私に感じたからであろう。そもそも、意見の相違も多かった。私は徹底的に私情を排して対応したが、それは全く伝わっていないのだと容易に想像できる。虚言癖も酷く、本当に御し難い御仁であった。その点、Dickは話の分かる男だったかも知れない。私が公私混同してしまわないよう細心の注意を払っていたコトなど知る由もないだろうが。

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