電車のマナーって色々ありますよね。
ホームでのマナーもあれば車両内でのマナーもありますし、
車両内でも座り方のマナーや、立ち位置、吊革、荷物などなど、
挙げ出せばキリがありません。
電車の広告でも、たまに車両内マナーについて書かれているモノがありますが、
正直、私の感覚では、鉄道利用者の99.5%がそういったマナーを守れていません。
そんな極端な… と思われるかもしれませんが
私の感覚ではそうです。
逆にマナーを守れている人を見たコトがありません。
一見、大人しく乗車しているようでいて、誰しも何かしら傍若無人な部分が必ず見られます。
今回は、そんなマナーに関するエピソードを紹介してみようと思います。
並ばない猿たち
2020年10月、とある関西の私鉄の利用人口が多い駅のホームに上がった。帰宅ラッシュの時間なのか、階段の部分にかかるところまで人の列が流れてきている。しかし、それは列というにはあまりに乱雑で、どちらかというと、それぞれが好き放題に立っているといった印象だった。私はその不規則に立ち並ぶ人を避けながら、いつもの定位置まで歩いていった。
私の定位置は階段の真横で、非常にホーム部分が狭くなっている場所だった。なぜいつもそこで待つのかと言えば、当然、自分にとってそこが一番都合の良い場所だからである。要するに、その位置から乗車すれば、自宅の最寄り駅で降車した際、改札へ降りる階段が目の前に現れるのだ。私はいつも、他人の迷惑にならぬよう、他の人を困惑させぬよう、ホームの床に明示されたマークの通り、整然と並んで電車を待っていた。
私が電車を待ち始めて間もなく、誰かが私の肩をポンポンっと軽く叩いた。振り向くと、そこには髪の長い女性とギョロ目の男性が立っていた。私の肩を叩いたのは、どうやらギョロ目の男性の方らしかった。彼は、振り向いた私に声を掛けた。
「この人が先に並んでましたよ。」
ギョロ目の中年―いや、初老というべきか―男性は、彼の前に立つ女性を指し示しながら言った。当該の女性はギョロ目男性の声が聞こえていないかのように黙々とスマートフォンを操作している。私はギョロ目に返答した。
「誰がドコに並んでいるんですか?」
なぜか第三者からいきなり指名されてしまった女性は、ひたすらスマホを見ているだけで、テキトーな位置に立ったまま微動だにしなかった。その女性は恐らく電車を待ってはいただろうが、並んでいないのは誰の目にも明らかだった。女性の前には人が立っていなかったし、彼女の立ち位置が扉のマークのある場所でもなかったからである。とにかく彼女は孤立無援で、列を成していないのだ。
一方、私に声を掛けてきた初老のギョロ目は、女性の後ろに立っていた。恐らく彼は、その女性の後ろに並んでいるつもりなのだろう。それは私にも分かった。しかし…
(そこは列ではないし、並んでいるとは言わんぞ…)
そう思いながら私はギョロ目の返答を待った。すると、
「みんな並んでいるんだから…」
というような答えが返ってきた。
答えになっていない。私は「誰がドコに並んでいるのか」と尋ねたのだ。
私はもう一度問うた。
ギョロ目は答えた。
「それはこの女の人に聞いて下さい。」
先制攻撃を仕掛けた直後に、一般市民を盾にする猿
ファっ?!?!?!?!
驚愕で身が固まった。ツッコミ所があり過ぎて何から話せばイイか分からない。整理してみよう。
まず、2020年と言えば、コロナ禍の真っただ中、緊急事態宣言が何度も発令されるなど、日本国民が一番戦々恐々としていた時期と言っても過言ではない。そんな時に、見知らぬ人に不必要に声を掛ける? あり得ない。
次に、同じくこのコロナ禍で、他人に触れるなど言語同断という点。しかもコチラは、初対面の見知らぬ相手である。非常識極まりない。
加えて、声を掛けてきたのはギョロ目の男である。そして彼が話しかけた対象は私だ。間に挟まれた格好の長髪女性は、彼がわざわざ指名したせいで巻き込まれただけで本来は関係のない人である。無関係なのにこの係争の中心にいるかのような扱いをされた上、初老のギョロ目にこの案件を丸投げされたのだ。こんな意味不明なコトがあろうか。
私は「人のせいにするな」という趣旨の発言をした。当然である。私に声を掛けてきたのは女性ではない。ギョロ目の方だ。彼が女性の後ろに並んだつもりなのは分かるが、女性は並んでいないし自ら進んで発信もしていない。ギョロ目に対する反応すらしていないのだ。今のこの場は『正しい列を形成した私に初老のギョロ目が声を掛けてきた』という、ただそれだけの状況である。
私は引き続き
「誰がドコにどう並んでいて、どういうふうに列が形成されているのか」
を問うた。
驚くべきコトにその男は、
「それは分からない。この女性に聞いてくれ。」
と繰り返した。
開いた口が塞がらない程、無責任な主張である。列を成していない者が、整列している者に対して無遠慮に「並べ」と支離滅裂な指示を出してきた上、「どういうコトか」と問うと「この人に聞いてくれ」と、全く関係のない第三者を引っ張り出してきて、その人に責任を押し付けたのである。考えられないコトだ。
彼の言動は、私に対する迷惑行為であり、彼の前にいた茶髪ロングの女性に対する迷惑行為でもある。
私は、
「アンタが言い出したのだから、人のせいにせずに、ちゃんと質問に答えろ」
という主張をした。
「混乱が起きないよう、ちゃんと並ぶべきである」
という話もした。
しかし彼はその後も、全て他人に押し付けるだけの支離滅裂な発言を繰り返した。
(コレは埒が明かんな…)
そう思っていると、初老のギョロ目がさらに驚くべき行動にでた。
危険行為を黙認し、率先して自ら危険行為を犯す駅員
「駅員さん!!」
ギョロ目がホームにいた駅員を呼んだ。駅員は面倒臭そうにゆっくり近づいてきた。私とギョロ目は端から見て口論状態だったので、駅員もそれを遠巻きに見ていたのだろう。(また面倒臭い言い争いか…)とでも言いたげな、ブスッとした表情だった。
ギョロ目は、私を指差して「この男がちゃんと並ばない」という主張をした。もちろん、私は否定しようとした。むしろ並んでいるのは私の方で、並んでいないのはこの男である。しかし駅員は私の話を殆ど聞こうとはせず面倒臭そうに私の背を押した。
「みんな並んでいるから…」
と、ホームの広い部分へそのまま強引に促し、そそくさと去っていった。
私は、自分の行動や状況についての説明をする間もなく、階段まで追いやられたのだ。ギョロ目の男の言動にも驚いたが、駅員の対応にも心底驚いた。まず「みんな並んでいる」発言である。いや、殆どの人間が並んでいない。それは明らかである。自分のスマホしか見ていない一般の乗客では思い至らないかもしれないが、普段からマナーの悪い客の扱いに苦心しているであろう駅員ならば、今ホーム上にいる殆どの人間が整然と並んでいないコトは痛いほど分かっているだろう。それどころか駅員ならばむしろ、整然と並ばせるべきではないのか。ただでさえ、ホーム上の極めて狭い部分である。階段にまで列もどきが間延びしており、それだけでも非常に危ない。
次に、ギョロ目の男と同様、駅員も不用意に私に触れてきた。このコロナ禍で、である。それどころではない。背中を押したのである。しかも、前述の通りホーム上の階段がある非常に狭い場所で、だ。列が乱れているのも危ないし、ただでさえ狭い場所に人が並ばず跋扈しているホームの際ギリギリで人の背中を押すなど…言語同断…いや、この非常識さを正確に表せる語彙は日本語に存在しないと言ってイイ。まさに悪魔の所業である。
駅員として、状況を整理して適切に対処しようという意思がそもそも感じられなかった。気持ちは分からんではない。面倒臭い客同士の諍いだと思ったのであろう。しかし、あまりに雑、いや不適切な対応である。初老のギョロ目はまだイイ。支離滅裂な主張をしているだけの、ドコの馬の骨とも分からん男だ。しかし駅員はどうだ。ホームの安全、電車の正常かつ安全な運行のために常駐しているのであろう。それを、危険を見過ごすだけでなく、自ら率先して人が命すら落としかねない暴挙に出るとは。
私は、駅員が出てきて以降は抵抗しなかった。無理に弁明しようとはしなかったし、状況を説明しようとも思わなかった。それは(向こうが聴く態勢でなかったというのもあるが…)相手が駅員だからである。私は彼の行動を明らかにおかしいと思ったが、この駅のホームも、コレから私が乗ろうとする電車も、この鉄道会社のモノである。この鉄道会社がルールであり、駅員のいうコトがルールだ。そう思っていたので、どれだけ相手の言動が理不尽でも、状況が不条理であっても、抵抗はしなかった。やり場のない怒りを感じてはいたが、そこで駄々をこね始めたら、それこそ迷惑行為になりかねない。駅長室に出向いて事情を説明するコトは少し考えたが、結局私は黙って階段の辺りで立って待ち、ホームに溢れる人たちの中で、最後の最後に乗車した。
未就学児童でも知っている、列の作り方・並び方
正直、周りで電車を待っていた人たちは、私のコトを「面倒臭い奴だ」と思っただろう。ギョロ目の男に対しても「なんだコイツは」と思ったかも知れない。なぜかやり玉に挙げられた女性も、ギョロ目に指をさされる度に顔を歪めていた。間に挟まれていたから、私にも嫌気が差したであろう。球が直接飛んできているワケではない周囲の人たちは総じて、私とギョロ目のやり取りを怪訝そうに見ていた。
私を面倒臭く思う気持ちはよく分かる。コレを読んでいる方の中にも、私の行動に同意しかねるという方が多数おられるかも知れない。しかし私は、筋の通らない理不尽や不条理には断じて屈しない。私はただただ整然と列を形成して、迷惑行為を突っ撥ねただけである。ホームで電車を待つ際に、ホーム上の指示通りに並んだだけである。その程度のコトができないなどあり得ない。未就学児童にも出来るコトである。それを大の大人が大勢寄り集まって一体なんだというのだ。
もし仮に、私に順番を抜かされたと思うのであれば、それは並んでいないからである。そうならないためにも、皆ちゃんと並ぶのだ。何度も言うように、ただでさえ狭くて危ない場所である。並ばなければすこぶる危険だ。並ばないから列もどきが間延びする。間延びするとホームのギリギリに人が立たなければならなくなったり、階段にまで人が溜まるコトになる。そうなれば、人と人の衝突も起きかねないし、階段を転げ落ちる事故が発生する可能性だってある。ホームから落下するのも、階段を踏み外すのも、場合によっては命に関わる事故となる。それを防ぐためにとった行動を「面倒臭い」と断じてしまうのは簡単だが、そうしてしまった時点でルール・マナーは崩壊する。
列を形成しようと思ったら、中途半端な場所からでは不可能である。日々、訓練された団体ならば乱れた状態からでも瞬間的に列が形成できようが、ホーム上はマナーの悪い有象無象の集合体である。整然とした列を作るならば、まず、前に居る者がしっかり並ばねばならない。繰り返すが、コレは未就学児童でも知っているコトである。だから私は、綺麗に列が形成されているところへ行き、整然と並んだ。そうすれば、次の人が後ろに並べる。そうやって列が形成されていくのである。整然とした列が形成されれば、次にホームに上がってきた人が並ぶべき場所も一目で分かる。そうなれば、その明確な場所に迷わず並ぶ。あとはその繰り返しである。不用意に順番を抜かしてしまうコトもなければ、争いの起きようもない。ホーム上の危険度も下がる。
「赤信号、皆で渡れば怖くない」~多数派は正義か~
私の思想が正しくとも行動が適切ではない、という方もおられるだろう。人によったら「ココ、今並んでおられますか?」と確認する場合もあるかも知れない。それは正しいと思う。また、並んでない人が多いなら並ぶように促すというコトもできよう。そうかもしれない。しかし、私はそんなコトは絶対にしない。なぜなら、私はそのような義務を負っていないし、義理もないからである。ただただ、一人の乗客として整然と列を成すだけだ。並ばせるのは私の仕事ではないし、他人に声を掛けたくもない。並ばせるのは駅員の仕事であり、ちゃんと並ばずに損をするのは個々人である。だから私は他人に不用意に声はかけないし、並んでない(ルールを守らない)者に気も遣わない。
多くの人は、様々な掲示や床の表示にもっと注意を払うべきである。分かりにくい場合もあるだろうが、今時、ドコの駅でもだいぶ分かりやすくなっている。一目見ただけで分かる場合も多い。私が今回利用した鉄道はまさにそうだった。床を見れば、ドコにどう並べば良いかが一目瞭然となっている。それだけ分かりやすい指示が出ているのに、その通りに出来ないというのはなんぞや? 本当にあり得ないコトである。何万回でもいうが、未就学児童でも分かるコトだ。
私が冒頭で述べた『99.5%の人がマナー悪い』という発言が、まさに今回の一件でも体現されている。当時、近くには私ともう一人しか列を形成している人がいなかった。その他の数十人は、テキトーな所に直立したり、壁にもたれかかったりして、ただひたすらスマホを触っているだけだった。そうした何の気なしの無神経な行動を大勢の人がとるコトによって、ルール・マナーを遵守しようとする者が排除される。鉄道会社の職員ですらマナーを守ろうとする者を排除する世界とは、いったい何なのか。
適当に立って待つのが良いのならば、ホーム上に並び方を図示する必要はないし、電車の吊り広告でマナーを訴える必要もなかろう。スグに全て撤廃したらよい。ギョロ目や茶髪女性が優先的に乗車できるのであれば、列に関係なく、ホームに足を踏み入れたタイミングが早ければ良いという話になる。ホーム上のドコにいても並んでいるコトになるのなら、ウロウロしていた奴が、整然と並んでいる者をいきなり押しのけて乗車できてしまう。ドコにいても並んでいるコトになるのならば、自宅で座っている状態で「俺は並んでいる」と主張できても不思議はない。「10時間前から俺はコレに乗るつもりでいた」という主張も通すつもりだろうか? 「1週間前から予定していた移動だ」といって、自分が列の先頭であるというアピールをする気だろうか? 彼らの主張の不条理さはそれと全く同じである。そんなモノが通るハズがない。指示通り整然と並んでいる者こそが、文字通り、列に並んでいる者であって、優先的に乗車できて然るべきであろう。
今回の私の主張に同意する人が多いとは正直思えない。なぜなら、前述の通り99.5%の鉄道利用者が私の否定する行動をとる『マナーの悪い乗客』だからである。色々なコトをツラツラと書き綴ったが、私が述べているのは要約すればただ1点のみ。
「ちゃんと並べ」
だ。
幼稚園児でもできるコトだ。何度でも言う。5歳児でも出来るコトだ。出来ないコトを恥ずかしいとは思わないのだろうか。
私は訴え続ける。99.5%の人間に『赤信号、みんなで渡れば怖くない』を辞めろ、と。
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